So-net無料ブログ作成

シツケとシカケ [味村ノート]

今回の味村ノートは、かなり前に飲み屋でお聞きした小話の文章版です。

味村ノート2.jpg出囃子はこちら

シツケを忘れたシカケ
 投入口(なげいれぐち)と書いてあるが,お金を投げ入れてはならない。
投げ入れることは出来ない。1枚ずっ丁寧に差し込む。欲しい品物のボタンの位置を確かめながら慎重に押す。そこばくの不安と期待とが交錯する一種複雑な心境で待っことしばし,地球の重力にモノをいわせて品物が機械のマタダラに投げ出される。釣銭があると,釣銭口に投げ返される。指をカギ状に曲げて,つまりドロボーを表現する指のカタチで,お釣を取る。時には,勢い余って釣銭が地面に叩き付けられることもある。このときは,ハトの豆よろしく釣銭を拾い集める。品物を取り,釣銭を拾い集めて,まずは一仕事が終わる。この間,男も女も黙ってやるだけである。怒鳴ったところで事態が好転するわけでもない。

 お馴染み自動販売機だが,これは売ることを人間に代わってやってくれるシカケだ。それなら,この機械のやっていることを,もう一度人間に戻してみたらどうなるか。くどくど説明の要はなかろう。たちまち苦情百出,客の虫の居所が悪いと張り倒されること請合いである。
 人間ならとうてい許されないことが,「機械だから」の一言で許される。何をしようが「子供だから」と平然と構えている当世母親の論理に似ている。子供だろうが何だろうが,世の常識に反することは許すべきではない。厳しくシツケるのが親の責任というものだ。

 「機械だから」で,客に品物を投げ出し,釣銭を投げ返してよいものではなかろう。そもそも商売物を投げ出すなどは,商人の風上にも置けぬ輩のすることだ。金は投げ入れられても,釣銭を添えて品物を差し出すのが売り手の常識だ。この作法をわきまえない機械は,シツケを忘れたシカケであり,もはや奇械・機怪とでも呼ぶ外はない。


物理か論理か倫理か
 シツケが倫理的制約ならば,シカケは物理的ないし論理的制約といえよう。とは申せ,シカケに倫理的制約を使う場合もある。

 戦後間もない頃,公衆電話ボックスは三方が壁,出入り口の扉も中に人がいるかどうかが分かる程度の小窓があるだけという,名前通りの「ボックス」だった。外から見えないことをよしとして,酔漢などが小用をたすことが多く,苦情が絶えなかった。これを防ぐシカケが,現在の総ガラス張りだ。外から丸見えだから,いささか倫理的にやりづらいというわけである。

 札幌の地下鉄は,無人の自動改札のはしりだったように思う。当たり前のことだが,料金は大人と子供と違う。これをどうチェックしているのか,そのシカケに興味を持った。
 大人と子供とを識別するセンサーなどは,現実的でない。駅員が識別するなら,元の木阿弥で無人化にならない。改札口を大人専用と子供専用とに分ける手があるが,地下鉄に乗ろうとするたびに,しばし親子の生き別れもあったものではなかろう。そもそも大人と子供とがそれぞれ正しい改札口を通っているかのチェックを考えれば,話は元に戻る。

 「百聞は一見にしかず」と現場を見て,納得した。改札口の上に表示板がある。子供用の切符で通ると,ここに「こども券使用」とバカデカく表示される。ゲートはすんなりと開くが,周りの乗客の視線を感じれば,よはど厚顔無恥の輩でも子供の切符では通れまい。つまり,ゲートは物理的に開くけれども,倫理的には閉じているわけだ。
 世に数あるシカケの中でも,これは傑作中の傑作といってよかろう。蛇足をいえば,「こども券使用」ではなく「坊ちゃん,嬢ちゃん,ご乗車ありがとう」とでも表示すれば,もっとすばらしいだろう。

[目]

立川談志師匠を偲んで、出囃子は[木賊刈(とくさがり)]といきたかったのですが、音源がありませんでした。


[いす]
〇 出囃子は下記URLよりサンプルを使わせて頂きました。
 上方寄席囃子 出囃子大全集林家染丸社中
 http://itunes.apple.com/jp/album/id313091696
 ・めくりの文字は寄席文字フォントがなく残念ながら勘亭流です

〇 サブカテゴリ[味村ノート]については→こちら 
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました
食費無料のアルバイト

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。